濵元家の土蔵に保存されていた資料から、14代目まで写真で辿ることができた。
明治時代の戸籍法が制定される以前は、名前のみの記録になる。
一番古い記録では、寛政12年 (西暦1800年)泊村「四郎三郎」との記録が残る。
この四郎三郎が何代目に当たるかは、定かな記録はないが、名前を代々受け継ぎ、第14代頃から名字として「濵元」をつけ始めたと考えらる。
安政6年2月10日〜大正11年4月25日
(享年63歳)
(1859/2/10〜1922/4/25)
孫(第16代 濵元 昇)と濵元四郎三郎(撮影時期;明治末期)
明治6年5月4日〜大正6年3月1日
(享年43歳)
(1873/5/4〜1917/3/1)
明治39年3月5日〜昭和50年8月6日
(享年69歳)
(1906/3/5〜1975/8/6)
早稲田大学卒業
(昭和初期自宅居室にて)
昭和12年6月28日〜
(1937/6/28 〜 )
(2016年6月2日 東京で開催された G7 後のシンポジウムの席にて)
(At a post-G7 symposium in Tokyo, June 2, 2016)
1960年3月 早稲田大学卒業
1960年4月 日本テレビ報道局報道部
(司法記者クラブ、警視庁記者クラブ等ニュース編集長)
氷見ゴルフカントリークラブ支配人
灘浦定置漁業協会会長
日本定置網協会副会長
富山県定置漁業協会会長
氷見市漁業協同組合副組合長等歴任
有限会社ハーマ 専務取締役社長